台湾疎開、米軍の空襲続く「逃げるのに必死だった」 森山勝子さん(88)が語る戦争体験
台湾疎開、米軍の空襲続く 森山勝子さん(88)が語る戦争体験

戦時中、母と6人のきょうだいとともに台湾へ疎開した森山勝子さん(88)=玉城村(現南城市)出身=は、毎日のように続いた米軍の空襲から逃げる日々を「逃げるのに必死だった」と振り返る。

防空壕へ走った日々

森山さんは1938年、玉城村百名新原地区(現南城市)で11人きょうだいの5番目、三女として生まれた。沖縄戦が始まった1945年には7歳だった。

当時、台湾では米軍の空襲が続き、森山さんは近くの防空壕へ走って逃げたという。食糧や服も不足し、生きることに必死だったと語る。

マラリアで妹失う

疎開先ではマラリアが流行し、妹が犠牲になった。森山さんは、戦争の記憶を語り継ぐことの大切さを訴えている。