石川文洋さん死去、88歳 住民の視点で戦争記録し続けた報道写真家
石川文洋さん死去、88歳 住民の視点で戦争記録

住民の側に立ち、戦争の醜さを伝え続けた報道写真家の石川文洋さんが、悪性リンパ腫のため長野県内の病院で亡くなった。88歳だった。今年5月に「元戦場カメラマンの視点 命どぅ宝」を出版したばかりだった。

那覇市首里出身、父は作家の石川文一

石川さんは1938年、那覇市首里で生まれた。父は作家で沖縄芝居の脚本家としても活躍した石川文一。父の仕事の関係で4歳の時に家族で沖縄を離れた。

20代で南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン)に移住し、フリーランスのカメラマンとしてベトナム戦争を取材。その後、取材が難しかった北ベトナムにも入った。生と死は紙一重だった。

戦火の中の住民を記録

沖縄の米軍基地を飛び立ったB52爆撃機によるじゅうたん爆撃で多くの民間人が死傷し、住居が破壊された様子を伝えた。体がばらばらに飛び散り、ほぼ頭だけの敵兵の遺体を持つ米兵という、戦場の狂気ともいえる姿も撮影した。

中でも数多く撮ったのは、戦火の中の住民だ。逃げ遅れて倒れたままの母親を泣きながら見つめる子どもたち。左足を失った赤ちゃんに乳を与える母親-。

沖縄戦では、防衛隊に召集された祖父が摩文仁で戦死し、親戚は逃げ回った後、収容所に入れられた。無辜(むこ)の民が戦争に巻き込まれた時に何が起きるのか。住民にとっての戦場を記録し続けた。

ホーチミンで写真200点を常設展示

ホーチミンの戦争証跡博物館には98年から石川さんのベトナム戦争の写真200点が常設展示されている。

欧米のカメラマンの多くは、米兵がゲリラを銃殺したり、上空から爆撃する様子など「軍の視点で捉えた戦争」だった。北ベトナム側は、占領地に旗を掲げる場面や米軍機を撃墜する瞬間など戦意高揚と宣伝を図ったものが多く、合成が施された写真も少なくない。石川さんのように、住民の視点で撮った写真は少なく記録性が高いという。

毎年のようにベトナムを訪れ、枯れ葉剤の影響など戦争の後遺症に苦しむ人たちの取材を続けた。県内の大学生、高校生との平和研修にも同行していた。

著書「報道カメラマンの仕事」で「故郷である沖縄での戦争、青春時代を過ごしたベトナムでの体験から、軍隊の存在に絶対反対の気持ちは変わらない」とつづっている。

沖縄の資料2万点余りを県公文書館に寄贈

辺野古新基地や先島など自衛隊強化が進む現場にも足を運んだ。基地だけではなく琉球舞踊など沖縄の伝統文化にも関心を寄せた。

これまで撮影してきた沖縄関係のネガフィルムや資料2万点余りが、今年3月県公文書館に寄贈された。県民の財産として、今後、活用を図る。

「日本人である前に沖縄人」として、戦争や基地負担で弱者が犠牲になる構図を告発し続けた。ウクライナやガザなど戦争が絶えない時代だからこそ、石川さんが伝え続けた「民衆の犠牲」に向き合いたい。