ベトナム戦争期に沖縄の米軍基地で枯れ葉剤(Agent Orange)に曝露したとして、米退役軍人70人が連邦機関である退役軍人請求控訴委員会(BVA)から補償を認定された。同委員会は、彼らの証言を沖縄で軍用除草剤に曝露した信頼できる証拠として受け入れ、関連する疾患に対する補償を認めた。
嘉手納基地で最多25人の曝露認定
70件の認定のうち、嘉手納基地を曝露場所として挙げたのは25件で、最も多かった。ある空軍の在庫管理担当者は、基地に保管されていた除草剤のドラム缶を確認する業務に就いており、その裁決文には「退役軍人は、ドラム缶の中身を把握する仕事だったため、ドラム缶に書かれた出荷書類から中身が枯れ葉剤であることを知っていた」と記されている。
また、別のミサイル誘導管制専門家は、嘉手納基地のフェンス近くに枯れ葉剤が保管され、フォークリフトがドラム缶を破損して中身が斜面に流れ出ることがあったと証言した。さらに、少なくとも2件の裁決では、枯れ葉剤が嘉手納基地内に埋められたか投棄されたという主張が含まれている。
那覇軍港での漏出と魚の大量死
ベトナム戦争中、那覇軍港は米国と東南アジアを結ぶ主要な補給拠点だった。退役軍人の証言では、70件のうち8件で那覇軍港が曝露場所として挙げられ、嘉手納基地に次いで多い。1969年から1971年まで米陸軍に所属した同港の需品係は、「オレンジ色の縞模様のドラム缶はフォークリフトや重機のオペレーターによってしばしば穴が開けられ、液体が埠頭や周囲の海に漏れ出した。埠頭周辺の海には何百匹もの死んだ魚が浮かび、常にひどい臭いがした」と証言している。
この証言を裏付けるように、2018年の米政府説明責任局(GAO)の調査では、輸送記録により、ベトナムに向かう途中に「沖縄、タイ、台湾などの外国の港」に立ち寄った枯れ葉剤を運ぶ船舶が確認された。GAOはまた、荷降ろし港では「1万本のドラム缶のうち約10本」が損傷または不良で、「港湾労働者が操作するフォークリフトもドラム缶に穴を開ける原因となった」と報告している。
キャンプ・キンザーや北部訓練場でも曝露
キャンプ・キンザー(旧牧港補給地区)では、ベトナムから持ち帰られた大量の化学物質が海岸沿いに屋外保管されていた。少なくとも4人の退役軍人がここでの曝露で補償を認定された。2019年の海軍・海兵隊公衆衛生センターの調査では、ダイオキシン濃度が環境保護庁(EPA)のスクリーニングレベルを520倍も上回ることが検出されたが、米軍は結果を公表せず、本紙の情報公開請求で明らかになった。
北部のヤンバル地域でも、キャンプ・ハンセンではフェンス周辺を枯らすために枯れ葉剤が散布され、空になったドラム缶は便所として使われた後、中身が焼却されたという。キャンプ・シュワブでは、オレンジ色の縞模様のドラム缶から漏れ出るのを目撃した退役軍人が「散布された約1週間後には、生い茂った植物がしおれて黄色くなった」と証言した。北部訓練所(キャンプ・ゴンサルベス)では、海兵隊員が「下草を除去し火災の危険を減らすために、除草剤を混合して散布するよう命じられた」と証言している。2016年に基地の約半分が返還されたが、米軍による清掃は行われず、廃棄物が残されたままだ。
間接曝露と沖縄住民への影響
直接的な曝露に加え、ベトナムで枯れ葉剤が散布された地域から持ち帰られた装備品を扱った後に発病したとする証言もある(70件中20件)。キャンプ・フォスターでは、ベトナムから来た車両の「ほこりや破片」に曝露したと軍用トラック運転手が証言。別の退役軍人は、ベトナムで道路建設に使われ「汚れと枯れ葉剤で覆われた」重機の荷降ろしを任されたと述べた。ある裁決では、コロンビア大学のジーン・ステルマン教授らの研究を引用し、「表面は枯れ葉剤使用後も数年から数十年にわたり残留ダイオキシンで汚染され続ける」と確認された。
補償を認定された70人の退役軍人の多くは沖縄に短期間滞在しただけだった。一方、基地で働いたり、隣接して暮らしたり、返還された土地に移り住んだ沖縄の住民は、はるかに長期間同じ環境にさらされてきた。米国、日本、沖縄県の当局は、彼らの曝露に関する同等の調査を実施していない。